AT PAPER.11より記載している、画家田中秀介による「田中の打ち返し!」。ネットで継続更新中。
日常から宇宙疑問まで数多のボール(お題、質問)に田中秀介が打ち返(回答)します。今回も写真3枚です。ご覧ください。

写真①

 私はお掃除や整理整頓が苦手で、20代の頃の身の回りといえば、埃、毛、砂、糸、鼠、本、爪、蛆、蠅、で溢れていた。
30代の今は、埃、毛、砂、糸、本、爪、まで落ち着いた。虫、鼠はわかない様に心がけ、本なども少しずつ整える事を覚えていくのだが、いや、整えるというのは名ばかりで、実際は詰めているだけである。詰める事を覚えてしまっている。
この本、吃驚するほど邪魔やな、と思い棚に詰めだす。詰めに詰め、ああ、私も整理ができる大人になったと思うてやね、寝る。
ほんで起きてまた別の落ちとる本に吃驚して詰めようとするが、びちびちやから吃驚して本はそのまま。
本は素敵。色とか形とか沢山あるし書かれてる事も全部ちゃう。本を愛している。ちゃんとしたい。この自販機を見てくれ。ちゃんとしてる。今から色んなタバコ入れれるよ。そして買える。こんなけ空いとったらタバコやなくてええかもしらん。ペンチにシャー芯。軟膏、釘、ミョウバン。落花生とか入っとったら小気味好い。内省。

写真②

 昔はよくこのブロックの上を歩いたものである。昔と言ったが今も歩く。なんせ楽しいです。
どこまで続くやら、やれ終わりが近い、うまく飛び越えて次の始点に乗り換えれるかしら。半壊が続くブロックの上、上手く歩き渡る事が出来るのか!私は!あそこまで行こう!などと楽しんでしまう。
人生はお先真っ暗である。遠くが見渡せない。何か一つ企てていたとして、もう少しで完遂の状況。しかし当たり前の様に企て全てが何かの要因で滅却される事は多々ある。常に翻弄されている。道などない。わかるのは足の裏の触感だけである。目をつむって触感をたどりに状況を想像し生きている。私の翻弄処方。

写真③

 これは見た途端、楽しくなってしまいまして、好みである。手当たり次第は性に合う。ブリキ板に十把一絡げである。
持参が許されるならば、私は何を置くだろうか。まず私は私を置くだろう。仰向けうつ伏せを試した後、降りる。後先考えずにブリキ板の上に寝そべるので、服に錆がついていないか気にするだろう。ブリキ板に十把一絡げを試すとなると、前日着ていく服を色々と思案するだろう。結局愚かに白いシャツなどを選んでしまう。阿呆である。ブリキ板と阿呆は親和性があるなと、今思う。
さて、持参したのは蕪、MacBook 、ガムテープ、花瓶。大きいものが必要と思い持参するが、少ない。奇をてらいすぎてつまらない。
情けなさと苛つき、服の錆が気になっている最中、雨が降り出す。五月、山際での雨は良いものである。適当にそこらの石、木などを ブリキ板に置いて、帰るとする。雨中午後四時半。町に着いたら二度ほど行った事のある中華料理屋に行こう。空芯菜炒めと餃子が美味かったので、同じものとビールを頂こう。