AT PAPER.11より記載している、画家田中秀介による「田中の打ち返し!」。ネットで継続更新中。
日常から宇宙疑問まで数多のボール(お題、質問)に田中秀介が打ち返(回答)します。今回も写真3枚です。ご覧ください。

写真①

最近いよいよ蚊が出てきまして、腕を食われ痒い。気がつけば掻きむしっている私がる。あげく、食われた周りも腫れてきて腕がぼこぼこである。ムヒでも塗ってりゃそのうち腫れも引いて平らになる。それほんまに平らなのかと思う。腕をよく見ると皮膚は凸凹している。毛もあれば血管の膨らみもあるやないの。ムヒを塗っても毛も血管も無くならない。それを私は知っている。遠くに望むあの山とこちらの空き地を比べても凸凹している。どの規模に移っても凸凹から逃れられない。隣のあの奥さんも、斜向かいの気難しい老人も凸凹している。たまに挨拶をするがやはり凹凸が気になる。
ツルツルのものをなんとか見つけて、これツルツルとしていますが。と差し出しても、たちまち電子顕微鏡で覗かれ、ほらやっぱり凸凹している。と凄まれるだろう。
凸凹にもはや敵わない。しかし、敗れると分かっていても挑まなければならない事もあるのです。

写真②

これは本当に信用と言うか、信頼しきっていないと出来ない事である。物言わず、態度だけ示す日に惚れている。私は惚れちゃいないよ。と言ってみるものの依存している。寝て、起きて、ずっと日の動きと共にしている。人類史が始まるずっと以前から当然のごとくあるとされる。ほんまか。
空に一つあれはおかしい。おまけに夜も空に一つ用意されとる、となると流石にちょっと待って下さいとなる。日と月のお話はまたの機会。
日は聞くところによると回っているらしい。何で回る。私が住んでいるここも回っているらしい。どんどん聞くと日の周りをここは回りながら周っているらしい。ほんで、こことか、あそことか、遠くで回っとるやつも含めて太陽系と言うんだそうで、この太陽系もどこぞの周りを回ってるらしいですよ。そんな事は知っているよ田中さん。と言う声が頭を回る。いやしかし、ちょっと回りすぎではないかと思うのです。植物も回りながら成長するそうで、風呂の水も回転しながら無くなっとった。胎児も産道を回転しながら出てくるし、今日行った公園の隅でおっさんも回転してたな。皆回っておるではないか。私を振り返ると、最近は回っていない。取り残された気分である。今年の残りは回る事に励もう。

写真③

私は角が好きでね、10代の頃は実家の押入れ。大阪に出て来た20代は借家の押入れを寝床にしていた。何とも落ち着くのです。角に囲まれて寝る前に、あーなんかようわからんがよかったかな。と思いながら眠れるのです。しかし、角というものは湿気がようたまる。私は現実を受け入れられずやり過ごしていたが、布団の下はカビまみれ。わかっていたよずっと前から。寝起きざま、あーなんかようわからんがはらたつ。憂さ晴らしで喫茶店に出向く。
喫茶店に着くと必ず角の席に座ってしまう。先客が角に座っていると会計で離席したのを見計らって腰を移すほどである。あの壁が二つある角の良さ。まずひんやりしている。壁は大体ひんやりしているのだが、角となると背面と側面からのひんやりを受ける。そして暗い。喫茶店などの照明は控えめではあるが、角となるとなお暗い。そっと近くの窓を覗くと、真夏の真昼でびゃあびゃあと明るい。明るい時間に一人、暗い時間。当時の数少ない贅沢。ひんやりしてぐっと影に潜んで店内の様子を伺いながらすする珈琲はよろしい。
私はあの頃、角にお世話になっていた。